SSブログ

2009年8月21日『天翔ける風に』初日 [ストレートプレイ]

2009年8月21日『天翔ける風に』初日 
東京芸術劇場中ホール L列31番

原作 野田秀樹『贋作・罪と罰』より
演出・振付 謝珠栄

三条 英(はなぶさ) 香寿たつき
才谷梅太郎 (三条の親友。実は坂本龍馬)山崎銀之丞
都 司之助(刑事) 戸井勝海
溜水 石右衛門 (金満家) 今拓哉
甘井 聞太佐衛門 (英の父) 阿部裕
志士 ヤマガタ 平澤智
三条 智(英の妹) 剱持たまき
三条 清・おみつ(英の母)福麻むつ美
志士 照井裕隆
志士 友石竜也 志士ほか数名
「ええじゃないか」民衆30名
------------------------------------------------

2001年、2003年以来の、再再演。
私は、観るの初めて。
タータン好きだし、謝先生の振付も大好き。
今まで観たかったけど、機会を逃して、今度こそ観てきた。

なんといっても、役者の層が厚いこともポイント。
レミゼキャストばっかり!

友石さん、とってもお久しぶり。
志士の場面では、探しまくり。
志士たちの群舞は、みんなそろって踊り、
友石さんも照井さんも、アンサンブルのように一緒に踊る。
いやはや、贅沢だわ。
志士のソロを歌っているの、これが友石さん???と考えまくり
なんか、違うような気がする。
休憩中に、プログラムを読むと、ソロは平澤智さん。
友石さんと照井さんの歌のソロも少ないなんて、ますます贅沢。

途中で気がついたけど
「老婆が殺されたよ」と、かわら版をばらまく、ふたりの男性。
後ろの模様、銀色が友石さん。
金色が照井さん。
志士のほかに、この役もしてたのねーー。

志士は、とにかく迫力のある群舞と歌。
謝先生って、宝塚では実力を発揮できてなかったんだ。
謝先生のダイナミックで、かっこいい振付は
相手が男性じゃないと、筋力の関係で無理っぽい。
両手にそれぞれ旗を持って、右手も左手も同じ動きをするのとか、難しそう。

想像していた舞台よりも、より一層迫力があって、
終始、目を見開いて、あれやこれやに感動。

何より、脚本がいいのは、いうまでもない。
罪と罰を、日本の江戸時代で展開する。
その発想だけでも奇抜だが、これが、すんなりとあてはまってくる。

才谷梅太郎は、坂本龍馬の別名。
英の父は、ええじゃないか運動のさなか、幕府の馬車にひきころされてしまう役。
討幕だ、大政奉還だと騒いでいるのに、何も実行しない志士たち。
そんな中、実行する人物が、英。

過去の英の写真を見たら、短髪だった。
ちらしだけの写真なのかは、不明。
今回の英は、長髪をポニーテールにして、少し、るろうに剣心風。
特攻服のような長い服。
この格好、タータン、似合うね。
歩いているような、走っているような、階段を上っているような
ゆっくりとしたテンポで、舞台を四角く進む、英。
盆は周り、舞台が転換していく。
中央で英が演じても、また違う場面では、盆の周りを四角く歩く。
なんか、この動きが、かっこよくて、目をそむけることができない。

「たくさんの幸せのためなら、ひとつの悪行も許される」
「人には、天才と凡人がいる。
 天才は、必要とあれば、法律をおかしてもかまわない」

この英の理念に対抗するのが龍馬。
「どんな人であっても、殺していい人なんていない」

山崎銀之丞さんを生で観たのは、初めてかもしれない。
だって、主要な出演作品に、1992年 熱海殺人事件って
いつの時代じゃああああ。
私まだ、その時、かろうじて高校生だったわ。
プログラムにて、銀之丞さんは、「ミュージカル嫌いです」と語っていた。
プログラム見本を立ち読みしたので、くわしくは読んでないが、
歌が苦手?ミュージカルそのものが嫌い?
それにしては、まあ歌えている。
というか、セリフの延長として、歌っている感じだね。

今日は、初日ということもあってか、カーテンコールが多かった。
カーテンコールで、ほかの役者は、自然と主題歌を歌っているのに、
銀之丞さんだけ、口を全く動かしていない。
カーテンコールで歌うことに慣れていなくて、照れくさいのか、
初日の舞台の出来がよくて感動しすぎて声も出ないのか、その事情は不明。
多分、照れくさいんだろうな。

英を追い詰める警察の戸井さんは、歌声も張りがあり、
なおかつ演技がうまい。
英との、駆け引きに、観ているこちらも力が入る。

今さんは、すっごく変人だった!!!
きもーーーい。なんで、あんなにきもいの??w
英の妹である、剱持さんに恋仕掛けをしていくんだけど
ねちっこくて、あんなの到底好きになれない。
剱持さんが、今さんに対して、銃を向ける。
「ほーーら、撃つのは知ってるよぉ。撃ってごらぁぁん」 きもい!!
これが撃っても死ななくて、ますますきもい。
今ジャベール、今すぐ聞きたいわw

剱持さんは、お金のために愛のない結婚をして、犠牲になろうとするが
きもい今さん相手には、無理だったw
「愛は、犠牲ではない」と叫んで出ていく。

今回の舞台、女性が、タータン、剱持さん、母親役の福麻さんだけ。
あとは、濃い野郎ばかりである。
その中で、剱持さんは、可憐な花を好演していた。

タータンも、気迫は男に負けない。
タータンは、歌がうまいんだけど、それ以上に芝居ができる人なんだなとしみじみ。
「世界が崩れる時は、その音がすると思っていたけど
 崩れる音すら崩壊してるわ、ケラケラケラ」と狂ったように話したり、
警察と駆け引きして、自分は助かるかもしれないと、ほくそ笑んだり、
才谷の胸に泣き崩れて「殺人者を抱くってどういう気持ち」と聞いてみたり
そのどれもが、すばらしい。
カーテンコールで、
「ありがとうございました」という声が、普通に女の子の声だったのに比べて、
舞台の間は、宝塚時代の男役の声に近い。
殺陣も、めちゃくちゃ、うまくて、きれいだった。
しかし、英を演じるには、ものすごく負の力が、のしかかってくるだろう。
負の力に負けないで、気力十分に千秋楽まで、がんばってほしい。
つらくなったら、きもい今さんをみて、なごんでほしい。

阿部さんは、ひょんなことから、
「ええじゃないか運動」の首謀者になってしまう。
そして、幕府側に殺されたとみせかけて、実は最後のキーパーソンになってくる。
それの前に歌うソロが、これまたせつなくて、いい声だわ。

英は、最後には明るく未来を見つめることができるのだが、
その未来には、才谷(龍馬)は、いない。
龍馬が明治時代を見ることなく死んでいったという事実を
観客の誰もが知っているだろう。

「私は牢屋で、あなたを待てばいいのね」
「いいや、違う。待つのは、女ではなく男だ。
 牢屋の扉の外で、君が出てくるのを、俺は待っている」

そう、待っていられないんだよね。
こういう設定に、もっていった野田の天才っぷりと、いったらもう。


大川の景色がきれいだ、英と才谷が川をながめる場面では、
客席前方にまで青いライトが照らされる。
最後のクライマックス近くになると、
コーラスラインのキャシーソロダンス場面のように
舞台の向こう側が、すべて鏡になって、客席の自分たちが見える。
こういうように、舞台と客席の見えない壁をとりはらってくれる演出って、
胸に、ぐっとくる。
それまでも、鏡は存在しているけど、ずらーーと舞台の向こう側に鏡が並ぶと
自分たちのことを意識せざるを得ない。

この作品は、江戸時代だったり、罪と罰だったり
自分たちの生活とはかけ離れた世界観なのかもしれないけど、
身近なところに、演じている彼らの志が、ひそんでいるのかもしれない。
江戸時代後半の混乱を龍馬がまとめてくれたおかげで、
今の平和な日本があるわけだしね。

舞台の出来事を舞台だけに置いておかず、
自分たちの今と未来に、何か問いかけてくれる作品だった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。